戦闘用ヘルメット図鑑の第二回目は、日本陸軍の鉄兜です。このヘルメットは完全にこうだとは言い切れませんが、満州事変後に日本陸軍が小銃弾に防御し得る鉄兜を研究開発した中での試製品の1つで1931年(昭和6年)から1932年(昭和7年)にかけて試作された二重鉄兜と呼ばれるものだと思います。後の九八式鉄帽(厳密には兵器扱いを表す鉄兜です)にも大きく関係しているもので、軽量だが防御力が低い九〇式鉄帽と重量があるが小銃弾を防御し得る九八式鉄兜の二本立ての元となったものとなります。ここで紹介する鉄兜の状態は良好ではなく、鉄兜自体も一見すると民間鉄帽のように思えるほど地味なものですので、まず最初に鉄兜の特徴について写真と併せて解説し、次に二重鉄兜と九八式鉄兜の開発史について解説していこうと思います。
本体
鉄兜を正面から見たところです。ご覧のように九〇式鉄帽とは形状は似ていますが、少しずんぐりとしたシルエットになっており別物です。また、後ほど紹介しますが前面内側に増加装甲があるため、それを固定するためにリベットが3つあり(この写真では逆三角形に配置されています)角が生えているように見えます。九〇式鉄帽では帽章兼内装止めの星章がある所は増加装甲固定用のリベットに置き換わっています。本体は硬質で九〇式鉄帽と同じく磁石が付いたので九〇式鉄帽と同等の素材だと考えられます。
鉄兜を側面から見たところです。九〇式鉄帽と同じく対称形となっていますが、こちらの方が鍔が短いような気がします。重量は1.61kgで諸外国のヘルメットと比べて重い部類(PASGTヘルメット辺り)に入り、PASGTヘルメットよりもサイズが小さいため尚更重く感じます。さらに前面内側に増加装甲があるので重量バランスが悪く、頭頂部を上にして置くと前のめりになってしまうため、着用の際の安定性は悪そうです。後述する一般的に知られている九八式鉄兜は本体が約2kg、前鉄が800gで合計が約2.8kgありますが、どのようなものなのか想像もできません。
リベットと割りピン部の拡大写真です。左側に2つ並んでいるのが顎紐の金具を固定するリベット、右側が内装を固定する割りピンです。艶消しの暗い茶褐色の塗装がそこそこ残っており、とても良い雰囲気を醸し出しています。
鉄兜を後ろから見たところです。九〇式鉄帽とはリベットや割りピンの位置関係が異なっていることが分かります。
鉄兜を上から見たところです。頭頂部を下に保管されていたためか錆びており、前面内側に増加装甲があり重心が前のめりになりやすいのでその部分は特に錆びています。九〇式鉄帽と違って尖った作りはしておらず、通気孔もありません。寸法は縦が約28cm、横が約24.3cmで、縦は九〇式鉄帽の大号と同じぐらいですが、横幅が九〇式鉄帽の大号よりも大きいため円形に近い形状となっています。
鉄兜の内側です。写真から分かるように前面内側に増加装甲があるため前部が二重になっているように見え、九〇式鉄帽とは似ていますが別物の内装になっています。内装はボロボロでほとんど残っていませんが、同型のものが海外のショップで販売されており、元々はリンク先のような内装だったと考えられます。内装が豪華で増加装甲まで付いているため、民間鉄帽だとは考えにくいところです。曲線があるため正確な測り方が分かりませんでしたが(ノギスを使って計測しました)、本体の厚さは1.5~2mm程度、増加装甲の厚さは本体と同じぐらいで、触ってみても九〇式鉄帽よりも明らかに分厚いことが分かるほどの厚みです。
内装の縁の部分を拡大したところです。ライナーバンドが合成皮革のような素材でできており、カチカチに硬化しています。パッドの残骸の部分も革製ではなく紙のような素材でできています。頭頂部のクッションの部分はライナーバンドと一体構造になっていることが分かります。
内側頭頂部の部分を拡大したところです。ご覧のようにクッションの残骸があり、重さで頭部と鉄兜の頭頂部のスペースを確保したり装着時の安定性を良くしたりするためだと考えられます。このアイデアは形状は違いますが他国軍のヘルメット(ドイツ軍のヘルメット、PASGTヘルメットなど)でも使われていたりします。
顎紐は1本の紐を本体に取り付けられている3つのDリングに通しているだけで、九〇式鉄帽のように分割式ではなく顎紐にOリングが付いていないので民間鉄帽のように見えます。なぜこの鉄兜がこのような構造なのかは分かりませんが、弾丸が当たった際でも強度を確保するためだと考えられます。刻印は探した限りでは見つかりませんでした。鉄兜の縁の部分の仕上げは急いで製作したためか荒っぽいです。顎紐は元々のものが切れて別のものが付いています。
頭頂部のクッションの残骸を少しはがしたところです。見えにくいですが内側の3分の1程に半円形の増加装甲が取り付けられているのが分かります。よく見ると前部2つのDリングでも増加装甲を固定していることが分かります。
内側の増加装甲の部分を拡大したところです。ご覧のようにしっかりとリベットで接合されているため、増加装甲は取り外すことはできません(先述したように顎紐のDリングでも固定しています)。後述する九八式鉄兜では増加装甲が脱着式になったので、この形式では重量バランスなどが問題視されたのだと考えられます。本体の縁の部分と同じく増加装甲の部分も仕上げが粗いです。
実は二重鉄兜にはここで紹介したものの他にも少なくとも2つ種類があるようで、前部のみに増加装甲がある①と、後部にも増加装甲が付いている②があります。どちらも頭頂部のクッションがあり、弾丸をそらせるためか前部に稜角が付いた緩やかな形状になっており、素材が軟鋼なためか凹んでいる箇所があります。3つで製造時期や製造会社にどのように違いがあるのかは不明です。このように二重鉄兜はそこそこ現存数があることが分かりますが、どうしてなのかは分かりません(九八式鉄兜と違って旧式なため?)。
それでこの鉄兜は実際に使用されていたのかと言いますと、今のところははっきりとしていません。上のネット上から取ってきた画像では機関銃手がそれらしき鉄兜を使用しているように見えます。また、藤田昌雄氏のサイトでもそれらしき鉄兜を使用しているような写真があります。支援機材のページの九三式軽防盾-使用状況という写真なのですが、九〇式鉄帽とは明らかに異なった鉄兜が使用されています。この鉄兜が二重鉄兜(1931年から1932年にかけて研究開発)とするならば、九三式軽防盾とも時期が合うと思います。ですが星章が付いているようにも見えるので確実ではありません。上の写真の鉄兜には星章が塗装で表示されています。
ここで鉄兜の紹介は終わりとなり、次に二重鉄兜と九八式鉄兜の開発史を解説します。
二重鉄兜・九八式鉄兜開発史
初めにこの記事を作成する上で参考になった資料の画像を上に挙げておきます。「工兵入門」は言わずと知れた工兵が使用する機材について纏め上げられた書籍となり、Wikipediaの九八式鉄帽の項目の参考文献となっていますが、今回取り上げる二重鉄兜についてはWikipediaでは省略されている内容となっています。初版は2001年に発行されていますが、今回参考にしたのは今年(2021年)に出た新刊となります。気のせいなのかもしれませんが、二重鉄兜と九八式鉄兜の部分の記述は他の装備の解説に比べて分かりにくいような気がします。
「アームズマガジン」は今のものではなく1992年7月号と同年8月号で、ミリタリーコレクションというコーナーで2回にわたって日本軍のヘルメットについての特集が組まれています。二重鉄兜や九八式鉄兜(記事の中では鉄帽となっています)について記載されているのは8月号となります(こちらの記述は工兵入門に比べると文章が分かりやすい気がします)。どちらの号も掲載写真や文章が1雑誌のコーナーとは思えない濃い内容となっており、数少ない日本軍のヘルメットに関する資料となっています。推測ですがノンクレジットで鉄帽研究家の方が協力されているかその方の書籍を参考にしたような印象を受けます。ですがアームズマガジンのこのコーナーがいつもこのクオリティではないようで、同年の1月号と2月号ではドイツ軍ヘルメットの特集が組まれているのですが、ヘルメットの重量が間違った(軽すぎる)記載がされています(それでもSSK-90ヘルメットが取り上げられていたりと濃い内容ですが、こればかりはドイツ軍ヘルメットを研究している人が多く今現在では情報が沢山手に入るので仕方がないような気がします)。
工兵入門とアームズマガジンでは完全に同じ内容ではなく、微妙に違った記述がされておりどちらが正しい記述なのかは分かりません。ですが工兵入門の方は年月などがかなり詳細な記述がされています。アジ歴にも一次資料があり、ほとんどの資料があまり具体的ではありませんがこちらも取り上げていきます。先述の通り工兵入門は新刊が出ているため入手は容易ですので、主にアームズマガジンの方を参考にして記事を作成していきます。そうは言っても私の記事を読むよりも工兵入門の方を読んでいただいた方が理解しやすく詳しい内容だと思います。詳細が分からない部分などは注釈(筆者注:)をしていき、工兵入門とアームズマガジンでは鉄帽と鉄兜の表記が異なっていたため、文中では九〇式鉄帽や重鉄帽は鉄帽、二重鉄兜や九八式鉄兜などは鉄兜という表記にします。2つ鉄兜の図がありますがこれは全てアームズマガジンに記載されていたものです(図のキャプションは全て”試作された各種2重鉄帽”でした)。
まず最初に九〇式鉄帽に対する恐らく最初の改修意見である二重鉄兜の開発史について取り上げます。
二重鉄兜開発史
ご存知の通り1930年(昭和6年)に九〇式鉄帽(当時は鉄兜)が制式化されましたが、1931年(昭和7年)に満州事変が勃発しその際に九〇式鉄帽の小銃弾に対する防御能力の低さが問題視され(これは九〇式鉄帽の研究方針が抗力をある程度に止め、できるだけ重量を軽減することとあるので防御力が低くて当然なのですが)、小銃弾を防御し得る鉄兜の必要性が認識されるようになります。1931年(昭和7年)5月に九〇式鉄帽に補強用の鉄板を被せる方式を研究した結果、鉄兜の胴体中央部に鉄板を二重に貼り付けた鉢巻式と、胴体前半部だけ鉄板を二重にした前半部式の二種が決定しました。その後神戸製鋼所と日本特殊鋼会社に二種の試製を発注し陸軍技術本部で検討をした結果前半部式のものの採用が決定され、前半部式を2社に発注し同年11月から1932年(昭和8年)2月にかけて歩兵学校、工兵学校ならびに第9師団に実用試験を委託した結果、実用に適するものと認められました(ここで工兵入門では二重鉄兜の研究を終了し、必要に応じて制式を上申するとあります)。
1932年(昭和8年)3月に陸軍は前半部を4mm、後半部を1mmとした型式のものを神戸製鋼所と日本特殊鋼会社に試作させ、神戸製鋼所は二重部分を鋲接により接合したもの、日本特殊鋼会社は二重部分を溶接により接合したものを提出しました。同年8月、陸軍はこの2つの試作品を東京工廠にて射撃試験を行った結果、前部を2.5~3mmにすれば射距離300mからの小銃弾に有効であると認められました。また、2社が実際提出した鉄兜の厚さは、前部が2.5~3mm、後部が1mmで、従来の九〇式鉄帽と比較して大きな差(筆者注:寸法や重量、内装の形式?)はなく、この二重鉄兜は研究課題として技術本部に置かれました。工兵入門ではこの段落の部分がどういうわけか前部と後部で異なった厚みの鉄板をつなぎ合わせた一重鉄兜という別の鉄兜の記載になっています。
工兵入門とアームズマガジンの記述の違いを図にしてみました。開発部署違いでもないのに一度効果があると立証された構造が、翌月になって別の構造の方が効果があるのでそちらの条件(この場合は厚みや固定方法です)を変えてどの程度が最適なのかを決めていこうとなるのでしょうか。効果があると立証されたら構造はそのままで条件を変えていきどの程度が最適なのかを決めるのが自然な流れではないでしょうか。そうは言ってもアームズマガジンは7月号と8月号を合わせてたったの8ページに日本軍のヘルメットの特集が組まれているので省略されている可能性もありますが、両者とも同じ一次資料を参考にしているのは確実と思われます。
(筆者注:この鉄兜は二重鉄兜とは少し違いますが、九〇式鉄帽に対する様々な改修意見の一つとしてここで取り上げます)1936年(昭和11年)3月に第9師団から九〇式鉄帽の改修意見が出されました。その内容は、九〇式鉄帽は中国軍の持つ小銃弾およびモーゼル大型級の拳銃弾に対して抗力が十分ではないので、従来の形状と一部の材質も修正して抗力の増大したものを作ろうというもので、形状は上の図のような前方からの弾丸に対して抗力を増大することを主眼としたものとなっており、前面は直射する弾丸をそらせるために約60°の鋭角とし、さらに星章の部分を中心に厚さ1mm、幅3cm、長さ20cmのニクロム板で補強し、星章はニクロム板の上にエナメルなどの焼付塗装によって表示し、重量はそのままというものでした。この鉄兜も試験では良好だったものの、鉄兜の鍔の部分が戦闘動作に支障があるということで採用はされなかったそうです。
次に九〇式鉄帽に対する最も知られた改修意見である九八式鉄兜の開発史について取り上げます。
九八式鉄兜開発史
(筆者注:アームズマガジンでは資料が少なかったためか九八式鉄兜の記述が少ないため、九八式鉄兜開発史は工兵入門を参考にして書きました)
上記のように満州事変後に日本陸軍は小銃弾に防御し得る様々な鉄兜を研究開発してきました。1934年(昭和9年)10月から1937年(昭和12年)1月にかけて板厚や形状、金質の異なる各種鉄兜を32種試製し試験を行った結果、形状の変化は防弾効果にはほとんど影響がないことが分かりました。このとき神戸製鋼所が試製した鉄兜の形状は、九〇式型と前の方を少し尖鋭にした二種でした。
1937年(昭和12年)12月に板厚を2mmとして前鉄をもつ鉄兜二種、形状はドイツ式のような防護面を大きくしたものと九〇式と同一のものを試製し、歩兵学校と工兵学校に実用試験を委託した結果、1938年(昭和13年)2月に試製鉄兜は実用価値十分で、九〇式と同一のものに前鉄を付けて細部において若干の修正を要するという判決が出ました。同年7月に修正が終わり実用に適することを確認したので、この鉄兜は九八式鉄兜(重鉄帽)として制式制定されるべきものとして、同年8月に審査を終了しました。
上の画像は昭和13年12月の近接戦闘兵器研究委員中支派遣者報告という資料から取ってきて右側の項目を追加したものなのですが、工兵入門の年月や内容の記述と一致しており、この資料を参考にしたのだと考えられます。ドイツ式のような防護面を大きくしたものが甲で、九〇式と同一のものが乙だと考えられます。ドイツ式のような防護面を大きくしたものはたまに見かけますが(聖戦三年というニュース映画で橋を渡す工兵が着用しているのが見られます)、九〇式と同一のものは見たことがないです。というか九〇式と同一とあるだけで詳細な形状が分からないので気付かずに見逃している可能性もあります。たまに見かけるドイツ式のような防護面を大きくしたものには星章が塗装で表示されていますが、星章の塗装が剥がれやすいのか星章が見えにくくなっているものが多いです。
上の画像は1940年(昭和15年)の歩兵用近接戦闘器材概説という資料から取ってきたもので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。この資料が九八式鉄兜の根拠資料(仕様書)となっており、工兵入門ではこの記述がそのまま使われています。この資料は歩兵第26連隊によって書かれたもので、歩兵第26連隊はノモンハン事件に参加しているので九八式鉄兜も実戦投入されたのだと考えられます。アームズマガジンではどういうわけか九八式鉄兜は試作のみで採用は見送られ、二重鉄兜が形式により二重鉄帽や重鉄帽として区分されて現地の砲兵部隊や歩兵の機関銃手用に支給されたとあり、工兵入門では九八式鉄兜が実際にどれほど製造されどのように使用されたのかという記述はありませんでした。
アジ歴で九八式鉄兜と検索してもこの資料と1942年(昭和17年)の兵器修理区分表しか出てきませんが、重鉄帽で検索するといくつか資料が出て来ます。ほとんどは調達の資料で(大抵防楯と一緒に支給されています)、調達数が多くても20と少なく目的が研究用と記載されており何のために研究開発したんだと少し疑問に思えます(防楯が大量かつ継続的に調達されているのとは対照的です)。この調達数の少なさから見ても九八式鉄兜は九〇式鉄帽の後継ではなく二本立てとして使用する意図が読み取れますが、そのような運用ができるような調達数ではないような気がします。九八式鉄兜はわずかに三桁以下しか調達されず終戦の際に兵器扱いであったために処分されたため見かけない...という説も出来なくはないですが、もう少し現存していても良いと思います。二重鉄兜が九八式鉄兜だという説は前鉄の取り外しの可否や重量などからそう考えるのは難しいと思います。
余談で中田本Vol.2(大日本帝国陸海軍〈2〉―軍装と装備 明治・大正・昭和)にあったヘルメットなのですが、これもドイツ式のような防護面を大きくした重鉄帽甲型なのでしょうか。バックル式の革製顎紐や満洲国関係ヘルメットとなっているのが謎ですが、先に挙げた資料には現制のものにとかは特に記載されていないので、ありえそうな気がします。この写真だけでは民間鉄帽なのか軍用でも別のものなのか判断は難しいですが、重量や内側がどのようなものなのか気になります。
~九八式鉄兜って、何ぞや?~
ここまで長々と書いていきましたが、九八式鉄兜(重鉄帽)って何なのでしょうか。藤田氏はTwitterで以下のように発言をされています。
重鉄帽とも呼ばれ、九0式の内側前半に増加装甲をつけたものです。工兵や防空要員で少数が使われています。
— たると上校 (@Colonel_Taruto) July 11, 2019
藤田氏の発言からは私がここで取り上げた鉄兜が九八式鉄兜だと読み取れなくもないですが、もしここで紹介した鉄兜が九八式鉄兜だとしたら、私はジェネレーション・ウォーの電信所を制圧したフリードヘルムみたいになりそうです(流石にヘルメットは投げられませんが)。藤田氏は恐らく一次資料を根拠にしてこのような発言をされていると思いますが、二行で説明できるような内容ではないと思います。上記で長々と述べたように(そもそも二次資料を参考にするのはあまり良くないですが)、満州事変後に日本陸軍は小銃弾に防御し得る様々な鉄兜を研究開発、製造したため多くの形式があるからです。確かに多くの形式があるため言い切ることも可能ですが、そうすると前鉄は脱着が可能だと記載されている九八式鉄兜の説明書の内容はどうなるんだとか(前鉄は兜の前面に付け前半部を覆うとあるので兜の内側に付けるといえなくもないですが、前面なので普通は兜の外側に付けるのだと思います)、九〇式って九〇式鉄帽を改造したものなのか見た目が似ているだけで別物なものなのかと疑問が出て来ます。
藤田氏には九八式鉄兜の詳細な形状、重量や板厚はどれほどで前鉄の脱着はできるのかや、どのような資料でそのような結論に至ったのかなどをご提示いただければと存じます。私は資料が少ないため今のところ九八式鉄兜とはどのようなものなのかを断定することはできませんが、強いて言えば先に挙げた九八式鉄兜の説明書に記載されている内容のもので、私がここで取り上げた鉄兜は九八式鉄兜ではなく二重鉄兜と呼ばれる九八式鉄兜(重鉄帽)より前に研究開発がされた別物だと考えています。
総評
ここまでまとまりがなくダラダラと書いていきましたが、ここまで書けたのは実際のところ九八式鉄兜ってどんなものか知りたいという探究心があるからです。Wikipediaで九八式鉄帽というものがあると知った時は総重量が2.8kgもあるヘルメットって凄いと感じました(ロシアにはSTSh-81/SSSh-94というチタン/スチール製のヘルメットがあります)。そこで九八式鉄帽に興味を持って調べていくと、厳密な意味では鉄兜であること、一次資料には主に重鉄帽として調達が記載されていること、資料が少なすぎることなどが分かり、九八式鉄兜がどういうものなのか分からなくなってしまいました。九八式鉄兜について分からないままこの記事を書きましたが、この記事で九〇式鉄帽の防御力不足は当時でも問題視されていて、それを受けて日本陸軍は満州事変後から様々な鉄兜(私がここで紹介した鉄兜もその一つだと考えられます)を研究開発してきたのが分かっていただけたらと思います(実際にどれだけ使用されたのかはまた別の話ですが)。ここまで日本陸軍の話を書いていきましたが、実は日本海軍でも類似した鉄兜があったりします。
戦闘用ヘルメット図鑑の第二回目はこれにて終了となりますが、ミリタリーコレクションという新コーナーを企画しており、ヘルメット以外の個人装備(水筒や飯盒、略帽など)を取り上げていく予定で日本軍物の紹介が多くなると思いますが、これからも当ブログをどうぞよろしくお願いいたします。